私の場合、思いついたばかりのほやほやの曲をデモとしてネット上に載せる。それには2つの理由がある。1つに思いつき一発目は最高だから。上書きをしたくない「ひらめき純度」の高いもの。(と自負している) 練りこんでいくともっと良くなる場合もあるけど、元へは戻れなくなる時も多々ある。つまり(DEMO)と銘打っているものの瞬間的には良いと思ったものとして扱う。また、どっちにも行けるよう言い訳付きの意味でもデモ。格好良く言うと数日後の自分に託す感じ。ネットにアップせずローカルのそういうフォルダに入れて置くという手もあるが少しだけ人の目に、(があると仮定して)追い詰められたいのだ。一番の愉しみはデモという作品形態できちんと残しておくと、のちのち完成版と聴き比べることが出来て二度おいしいから捨て置けない
もう1つが大好きな客観視。やはりインターネットは便利である。nextmusicという配信サイトを利用しネット上に楽曲を載せるようになってからずっとそうしてるやり方。ある一カ所に留め作ったものを一度違う場所においてみると色々と俯瞰して見えやすい。没頭して視野の狭くなりがちな自分にはこのやり方が合っていて、逆にpcで書いた文章や仕事のデザインなんかは一度プリントして手にとったりテーブルに置いたりしないとよくわからない人間である。
作ったものを俯瞰して見るためにひとまずネットの雑踏に放り投げる。例えばいつも使ってるサウンドクラウドだったら、「このリンクをクリックして出てきたオレンジ色のguiで聴こえてくるビーフとやらの曲はどうかな」という感じで通りすがりの一人としてビーフに接してみる。
ある程度かたちが整ってくるともっと客観視したくなる。だれかに聴いてもらう事を目的にするといっそう見えてくる。インターネットが無い頃は、暇そうな人を見つけてはカセットテープを手渡して聴いてもらっていた。自分の好きな人に。友達、恋人、家族、会社の上司、同僚。初めて会った人にも無理矢理聴かせてた。(恥ずかしくなかったのか、なにをかんがえていたか覚えていない。自曲の「髪留め蛍光カラー」の二節目で唄ってるのは過去の日々の実際だったり。)
その人越しに聴く。その感覚はちょっとフェチぽくてうまく説明出来ないけど。「どんな時聴いてるのかな」、「どこで聴いてるのかな」とかさっきのサウンドクラウドの例のように、聴いてくれるであろうその人になったつもりで自分でもまた聴いてみる。その人が私の曲を聴いてどんな感想をもったか、とかではなくその人の一人称視点で聴きたい。(あわよくばあなたと同時に再生ボタンを押したい!)そういうことを想像しながら愉しむ。こう書くとちょっと重いけどあくまで妄想の域なのでお許しを。
昨日は階段のとがった部分にぶつかってタンコブ作ってしまった。昨日はと言ってもブログはだいたい断続的に書いてるので昨日がいつだかもわからない。この記事、けっこう前から書いていた。書き留めておきたいがうまく書けずに実にまとまりの無いままだった。ところが今日、ツイッター上に日々ぼんやり考えていた類の、趣味を発表することについてのエントリが(しかももっとわかりやすく書かれた素晴らしいものが)RTにて回ってきたので、影響されまた続きを書くことにした。





